[アクション]ルアーのアクションについて初めて考えたときの事を書いてみよう[想い出]
公開日: 2014/06/11 考え方 釣りの記憶 釣りの極意 釣り師の妄想
ルアーを操作することで釣れたから釣ったへ
ルアーは設計者が経験をもとに「この動きならもっと釣れる」と考えて設計したものだ。場所 レンジ 天候 時間帯それぞれの条件下で最高の狙いを釣果で体現するために生まれた来た物…それがルアーだと思ってる。
しかし釣り師はもっと釣れるように…「自分で釣った」と思いたいが為に基本性能を再現することの追求ではなく、自分の思い込みで本来持ってるアクションからひと工夫加えて、更に釣れるようにする為に僕たちは日々もやもやしている。
ひとくちに「釣れる」といっても魚が反応するんだから相手任せであるのは当然だし、これに偶然とか勢いとかが加わったりするんだけど、ココまでくると釣り師的になんだか納得いかない。どこか釣り師のルアーを操る技術が釣りの重要な技術の中心であって欲しいと思いたかった。
そしてその事を鮮明に意識するきっかけになった事について初めて書いてみよう。
ルアーを操作するってことを初めて意識した記憶は一人の少年だった
その時僕は17歳だった。寄宿舎での学園生活の合間、帰省した時用の「釣具」を作っていた。当時はハンドメイドルアーがバス釣りで密かに流行っていて、ご多分にもれず僕もそんな一人だった。「あの川でこんなルアーを投げれば桃源郷がそこに現れる」と信じて疑わない子供だった。
事実、お手製の皮膜も貧弱なルアーを魚たちは我先に何度も襲ってバイトしてきた。
今考えると本当に「桃源郷」はそこに存在していたのだった。
でもずっと後になって気づいた。
『失ってはじめて人は無くなった物の大きさに気づく』
…経験したのは「釣り」だった。
さて、当時の釣りに満足していた僕は、それに遭遇した。
ファイヤーボールと呼ばれることになった少年
当時彼はまだ中学生になりたてだったと思う 当時のファイヤーボール氏がラパラのシャッドラップを練習して動きを見て欲しいと懇願してきた。僕は川の上流部に立ち、彼は同じ岸の下流から平行に岸際へアップにユルユルと投げた。
シャッドラップは艶かしい波紋を水面に描きそして静寂が訪れた。
彼はゆっくりと竿をあおり丁寧に自分の分身にその意思を木片に伝えた。
シャッドラップという北欧生まれの伝説ルアー
アレは北欧の老人がただの木片に奇麗な塗装を施した物質に過ぎなかった。しかしその老人は彼の全身全霊をその木片に「魔法」を封じ込めた。
操る物に釣り人の実力以上の釣技を授けた。
その結果世界中に釣り馬鹿が誕生した。
その1人の技をその時マサに目にした。
まだ中学生だった彼は実に本物の瀕死の魚を演じきった。
僕は自分の目を疑った。
目の前には「死にそうな小魚」しか居なかった。
今ならレンジとか、基本アクションはロールとかウォブリングとか、ただ巻き最高!とかロッドアクションは修行で身につけられるとか、波動とかアップだクロスだとか考えるが全然次元の違うもの…ルアーの演出の一つをその時「高校生の僕」は学んだ。
当時はビデオなんて無いし、釣り雑誌なんて読んでも動かし方なんて実際なんてイメージ出来なかった。
しかし彼は毎日の通学途中に橋から眺めて魚の動きを観察していたのだ。よく川に入り魚の居場所を学習していたのだ。釣りに行き弱った魚を食い入るように見ていた。
そして弱った魚の動きを完全コピーして再現してみせた。
現在ルアーを彼が操るアクションの様子は、DVDとかで探せばあるかもしれない。だけどあの生々しさは実際体験しないと理解してもらえないと思う。
その観察力と再現力は現在でもそうそう居ない事をここで言っておこう。一緒に釣り出来る人は見せてもらって欲しい。
もちろんそこから師匠たる僕は彼以上の技を開発しなきゃ行けなくなるわけですがw
つづく
ってなスタイル